中国語の部屋・・・(またしても内と外(4))
サールの中国語の部屋に関する議論でTHE REDISCOVERY OF THE MINDに於いて追記されたこと。
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サールの中国語の部屋に関する議論でTHE REDISCOVERY OF THE MINDに於いて追記されたこと。
建仁寺と東福寺で勅使門、恩賜門というのを見た。庭園にある壁は内側からは無いものと思って外部世界へ開かれており、外部から来る使者には(方丈という接待場所である)内部への接待の入り口となるそうな。またしても内部と外部という境界の話だ。
ラベル: テシス, ポイエーシス, ロゴス, 不伏蔵性, 内, 勅使門, 外, 恩賜門, 技術, 方丈, 生起, 真理, 確立, 空け開け, 運動
ラベル: アダム・スミス, クラーク, セザンヌ, ピンカー, メタファー, 世界, 意識, 法, 直観, 社会, 科学, 秩序, 義務, 自然, 芸術, 規則, 観察者, 言語, 評価, 論理学
木村敏の「自己・あいだ・時間」を読んでいて分裂病(今日の呼称では統合失調症)などの精神疾患を理解するためには西洋的二元論では限界があるとの記述がある。
ラベル: ゲーテ, ノエシス, ノエマ, 主観, 二元論, 分裂病, 和辻哲郎, 客観, 木村敏, 発生, 知覚, 科学, 精神医学, 自己, 自然, 西田幾多郎, 風土
今日、通勤で地下鉄に乗るときに人身事故で振り替え輸送をしていた。振り替え輸送の手順は知らないが、おそらく推測するに並行して走っている他社路線の定期券を目視で確認し、下車駅で出場することができる証明書を手渡して入場させる。一方下車駅では証明書を確認して出場させるという手順だろう。
プロトン濃度の勾配という高エネルギー状態こそが酸化的リン酸化におけるATP合成の鍵であるという化学浸透説を唱えたイギリスのミッチェルがノーベル賞を受賞したのは呼吸という基本的生命の営みを解明した功績によるものだそうだ。(光合成とはなにか「園池公毅」96ページ)電子の伝達自体がATPを生み出すわけではなく、電子伝達によって生じたエネルギーは、いったん膜を隔てたプロトンの濃度の落差という「状態」に変化し、ATP合成酵素はこの状態が持つエネルギーを使ってATPを合成する。これらはプロトン濃度勾配があればATPを合成するが、逆にATPがあってプロトン濃度勾配がない場合、ATPを分解してプロトンを輸送するという離れ業を行なう。ATP合成酵素はATPのエネルギーを利用するプロトンポンプとしても働くのだ。電子伝達系におけるたんぱく質の構造の微妙なところは、その電子伝達する位置が互いにすぐ近傍にあり、物理的にそういった反応が必然的に起こるという状況に置かれているところにある。これらのことを解明した学者の根気には頭の下がる思いがする。
ラベル: ATP, タンパク質, ノーベル賞, プロトン, ミッチェル, 位置, 光合成, 園池公毅, 濃度勾配, 近傍
先日、久しぶりに会った友人との会話の中でいきなりアンリ・ベルクソンの名前が出てきた。長い間読んでいなかった名前がなつかしくて、昨年出版された「物質と記憶」をちくま学芸文庫新訳ではじめて読んだ。
相互浸透という言葉は現在のKeywordとなっている気がする。
ラベル: イオン, エンゲルス, ニクラスルーマン, 会計, 司馬遼太郎, 新田義弘, 時間, 東大寺, 相互浸透, 相互貫通, 相即相入, 華厳, 鈴木大拙, 電子
平均律という言葉はたしか中学校で既に学んでいたはずだ。そして、それ以降音楽の記述を見る時などに再々眼にしている。「はかる科学」という書物で橋本毅彦と藤井知昭が書いている平均律のことはこの年にしてはじめて眼からうろこが落ちたと思った。
ラベル: C言語, かたち, タンパク質, テクスト, 余剰, 反復, 意味, 新田義弘, 構造体, 欠如, 決定, 現象, 相互作用, 補充, 解釈
計見一雄が引用するリベの主張で「非選択が自由意志を支えるものだ」という論文があるそうだと「ノーテンキ」というエントリーに書いたが、このほど読了した酒井邦嘉著「言語の脳科学」において、同じようなことが書かれているくだりに出会った。(同書210ページ)
ラベル: チューリングマシン, 多様性, 抑制, 文脈, 皮質, 突然変異, 脳, 自由意思, 行動, 言語, 計算, 計見一雄, 進化, 選択, 遺伝子, 酒井邦嘉
内と外を区別することが生命にとって重要なことであり、かつ医療にとっても解明するべきポイントとなりつつあることが「新しい薬をどう創るか」(ブルーバックス)で述べられている。
メタファーが字義的意味とともにもうひとつのメタフォリカルな意味をもつという見解は、デヴィッドソンによると誤りだそうだ。
レーモンルーセルという作家の「アフリカの印象」という作品を読んだが、異様な作品だ。
アリス・W・フラハティの「書きたがる脳」は刺激的で痛々しい書物だ。
フランク・ウイルソン「手の500万年史」に子供の認識の発達をどうやって促進するかのヒントが書かれている。たいへん参考になる。以下部分的に引用する。(邦訳322ページ、330ページ)
命題は記述されるべき事実の経験的内容についてなら「語る」ことができる。しかし、その形式的構造、すなわち論理形式については「示す」ことしかできない。
恢復期についてのアンリ・ボスコの覚書は幸福で健康なイマージュに満ちているようだ。
計見一雄の「脳と人間」を読んでいると、私も精神科の医者が勤まるのではないかとの錯覚に陥る。精神分裂病(統合失調症)のさまざまな事例を読んでいて、どこにでもある話だという気がしてくるから不思議だ。計見が書いているように、現代という時代がこの病気に冒されつつあるのかもしれない。
先日から紹介している中沢新一に加え、梅田さんの話や、小宮山さんの例を引き合いに出すまでもなく、人は肯定的な評価を好む。これを「ポリアンナ効果」と言うそうだ。エリノア・H・ポーターの人気小説の主人公「ポリアンナ」からとられており、おとうさんに教えてもらった「よかった探し」でなんでも喜ばしいことを探す肯定的評価の代名詞だ。これを標榜する人には自らを反対の性格という人もいるが、それだけ社会的に否定的評価が好まれず否定的評価が否定的に(すなわち肯定的評価に)意識されている証でもあるのだろう。誤解を避けるために付け加えれば、ここでは、なんでも「そうだ、そうだ」という人たちのことを話題にしている。別の言い方をすれば「他人志向型」。
梅田さんの記事と、対談した小宮山さんの卒業式告辞をみると同じことを言っている。「信ずるところを進む」ことの重要性だ。そして、梅田さんのBLOGへの反響を見てもおそらくこれは大半の人が(とくに日本人が)賛同する精神的な対峙の仕方なのだろう。
寺田寅彦は偉人のつむじ曲がりということで「科学上における権威の価値と弊害」を論じているが、これを読んで先日の中沢新一の議論を思い出した。結局、科学はつむじ曲がりが輩出してそれまでの権威を否定することで一層科学らしくなっていったと言えるだろうが、中沢であればこれは単にバランス感覚を回復する正常な反応があらたなものの見方をもたらしたにすぎないと言うのではないかと思った。偉大なつむじ曲がりはそういう意味では無意識にバランスをとる天才だったともいえるだろう。
中沢新一の「対称性人類学」によれば、対称性の論理にもとづく社会では「勤勉で賢くてわけても倹約なえり抜き」といったタイプの人々に対し警戒心を抱いていたと記述されている。その人たちは自分が獲得した富を、自分のために蓄積し、自分のためにだけ消費しようとする傾向があったからだ。神話ではこういう人々を貪欲な動物に喩えて、軽蔑する話がたくさんある。そして対称性の社会の倫理は必死にこの「勤勉で賢くてわけても倹約なえり抜き」たちの出現を抑えようとしてきたが、資本主義の本格的な稼動が準備された12世紀~13世紀の西欧社会では、あらゆる抵抗をはねのけて、蓄積のための生産や交易をめざす「勤勉な」人々の活動が浮上してくるのを、もう誰も抑えられなくなっていたというのだ。本源的蓄積は実際暴力的手段を通じて実行され、贈与経済のもたらす暖かい共同社会に生きてきた人々は自分たちの住んでいた土地から追い立てられたと分析されている。
かつて南方熊楠が没頭した真正粘菌の研究から発展し、古細菌の研究へ至って生命科学の分野では最近めざましい成果が出ている。特に3つのドメインが地球上の生物の系統樹として存在し、これ以外の生命は存在しないという発見は特筆すべきだろう。 ひとつはわれわれ人類の含まれる真核生物、二つ目は原核生物で真正細菌と古細菌に分かれる。古細菌(アーキア)は結局現在の生命全ての始原にあり、全く独立して現在に至るまでその強力な生命力で生き抜いている。おそらく他の2つのドメインを占めている生物が滅亡してもアーキアは生き残るだろう。われわれ人類が生命の中で最も優れていると勘違いし、驕っているのをあざ笑うかのようにアーキアのドメイン(生存領域)は拡張されるだろう。つまるところ、この地球上はドメイン競争の場なのだ。
理化学研究所が発表した量子コンピュータの要素技術となるべき回路の構成の内容は実に不思議なものだ。こういった知恵が出てくるためには量子状態と古典的状態にかかわる深い理解が必要だと思うが汎用性のある実用的な回路設計が出現したことで今後の量子コンピュータへの応用が期待される。
ロジャーペンローズのオブジェクティブリダクション(OR)に関する議論は重ねあわされた二つの時空構造のうちどちらかが支配的になり、状態はどちらかの古典的時空構造へ落ち込む瞬間に関するものだ。分岐しつつある時空構造の内部的な幾何学が四次元時空計量のうえの「シンプレクティック測度」として表されるということらしい。分裂は時間と空間にまたがる分裂であり、絶対単位系でS=Eの式で与えられる。(Sは分裂の大きさ、Eは重ねあわされた時空構造の間の差に対応する重力場の自己エネルギー)
わが国の首脳は言行一致を目指すと言ったようだ。
黒岩常祥の「ミトコンドリアはどこからきたか」を読んでいると、葉緑体が行う光定位運動に関する記述がある。葉緑体は光が弱いと細胞内のどの細胞内小器官よりも細胞表層に近くなるように移動運動をする。また、光が強いと自身が方向転換をし、最も効率よく光合成をするように位置を変えるそうだ。1999年にはわが国で定位運動の研究により、葉緑体はアクチンケーブルを使い、ミオシンの手助けで運動していることが突き止められているそうだ。
人のもつ他人排除の傾向は、なら転び八起きさんのBLOGに書かれた「アリアドネからの糸」の下記のくだりにみごとに記述されている。
色に関する不思議はゲーテの予想を超えてきているのではないだろうか。
マークポスターの1990年に書かれた「情報様式論」では既に15年以上前に現在の事態を予告するかのような議論がなされていた。
重力に従った自由落下の結果、重力場は無いのと同じといえる。これははたしてそうなのか。内井惣七の「空間の謎、時間の謎」を読んでいてバーバーの発見と書かれている次の話に素朴な疑問を持った。
カタルという語の意味について大野晋の考えでは平安時代に4つの使い方があった。
天体観測で暗号鍵共有という特許はコメントにもあるとおり「何時何分何秒からの信号を使ってね、ってのを何らかの方法で共有せにゃならんので、結局公開鍵暗号にある程度依存することになるんでしょうね。」と私も思った。ところが、回答では「OTPの場合、「何時何分何秒からの信号を使ってね」に相当する情報は、公開しても安全性に影響しません。(乱数表自体は公開してはまずいですが)逆に、乱数表が公開された状態で、「何時何分何秒からの信号を使ってね」に相当する情報を隠しても、通常は、簡単にクラック可能ですね。」ですと。
息の長いHTMLという考え方に改めて神崎さんの思考の鋭さを垣間見ました。W3Cにかかわっている人は当然このような考え方をベースに活動をしておられるのでしょうが、素人の私などには非常に新鮮で時間を超える仕組みはなにが必要かを改めて考えさせられました。
顔と表情は分離できるのか。
ものをつくる、制作するということは言葉で考え、記述することではない。ひとはものをつくるときに、場合によっては道具を使う。しかし、道具を使うことで経験をどうにかすることができるものではない。経験はコントロールできるものではないから。
がまんするということは夢をもっていることと同義だ。うまくいかない事態に遭遇したとき、こんなことでは終わらない、へこたれないという意味で自らを励ますときと、どうせどうのこうの言っても同じ結果だというあきらめのときがある。そして、がまんという言葉の語感には積極的な響きがある。思いを内に秘めて、次なるチャンスを待つという意思がある。集中力を高め、その場で対決せず、じっくりとときを待てる余裕がある。
想い出はどれだけ古くても今という時をきざんでいる。
かなしさは、互いに共振するものが見当たらないとき、解決策の見当たらないときに突然訪れる。なぜわからないのか、相手の力の誇示、拠ってたつ根拠、言葉の意味、あふれる情感をあざわらうかのように壁となって立ちはだかる社会が、約束が、法令がかなしさを倍化させる。冷静にコントロールされた頭脳にも理解の及ばないかなしさ。人がかならず経験する感情のたかまりが、かなしさの背後に厳然と存在する。そして、ほとんどすべての人がこの悲しさの経験を糧に残りの人生を過ごしているのだ。勝者にはわからないかなしみの中で。
合理的であることは正しいことと同義だろうか。
水は生命の根源にある。それは地球が酸素を多く含む惑星ということとつながっている。水は生物の体を形成し、食物連鎖を構成し、空気中の酸素を取り込んで腐敗をもたらし、あらたな生命の準備をする。燃焼のエネルギーというかたちで効率的ではないが循環を構成する。水の不思議さはその存在の態様にもある。流体の自由さはそのもっとも奔放なかたちでわれわれの前に姿をあらわす。ミッシェルセールも、鴨長明も水に意思を感じたにちがいない。
生命はなんでも消化し、自らの栄養にしてしまう。量的に適度に吸収し、十分消化に時間をかければ自分のものにしてしまう。荒廃した大地も、水さえあれば生命が生れ、繁殖する。植物が生育すれば、小動物が生れ、食物連鎖にしたがって大きな動物も生活できるようになる。この自然のバランスが崩れると生命は生存が危うくなる。ほとんどの有機物、無機物は生命にとって必要なものとなっている。大量に摂取すると毒になるものでも適度にとれば、長命をもたらす。
混沌とした環境に人類固有の整理分類を行うには言語が密接にからんでいる。世界の範疇化に語彙の多様性があるように範疇を操作する文法にも多様性がある。「ワケル」という分類行動は「ワカル」ことによって固有の様式を生み出し、価値観、意味づけ、イメージ、知識、経験がむすびついていく。言語にはこうして文化が埋め込まれる。言葉とそれを操作する規則を共有するだけでなく、範疇にむすびついた文化の共有があってはじめて相手の行動や反応を予測しうる。
重力波が宇宙のどこかで生じれば、空間のゆがみとなってわれわれの地球にも伝わるはずだ。これは、宇宙が閉じた系であるという前提を記述したからで、そのコンテクストを外部から鳥瞰するには外部からの情報がこの宇宙に到達しなければ不可能だ。はたして、情報は来るのか。あるいは来ているのか。あるいは既に来ていたのか。わずかな差異も見逃せば永久に謎となってしまうであろう。
覚醒した知覚は常に現実という規制によりチェックされているが、夢は統制を受けていない。外的刺激を受けない世界はひとつの閉じた空間だ。これを客観的に見ることのできる観測者は、外部にいる。卵子が受精する瞬間、その位置は外部からの全く新しい情報となる。分割はここにはじまる。
マンションのベランダにすずめ(ビタキ)がよくくる。ちぎって置いたパンくずなどを見つけると2~3羽が食べにくる。